明治維新企画相良知安

2018/11/30 (金) 18:23

毎週水曜日は幕末維新期に活躍した人などをシリーズで紹介しています。28日紹介するのは、ドイツ医学を導入し日本の近代医学の基礎を築いた相良知安。直系の5代目子孫、相良隆弘さんに話を聞きました。佐賀藩医の三男として現在の佐賀市八戸に生まれた、明治初期の医学者相良知安。当時、世界で最先端であったドイツ医学を日本に導入し、日本の近代医学の基礎を築いたほか、現在の東京大学医学部の初代学長を務めました。【相良知安5代目子孫相良隆弘さん】「知安は小さい頃、近所に住んでいた、江藤新平とよく長安寺の境内で二人はよく遊んでいた。ふたりが東京に出仕してからも長い付き合いをしていた竹馬の友であった」相良知安の一番の功績は当時、世界で最も医学が進んでいたといわれるドイツ医学を、日本に導入したことです。きっかけは相良知安28歳の時長崎に留学した際に出会ったボードイン医師からオランダ医学を学んだことです。【相良知安5代目の子孫相良隆弘さん】「当時、ドイツ医学が世界で一番最先端であったことを、ボードインから知安は既に知っていたんです。それが知安が、明治政府に出仕して我が国には、ドイツ医学を導入すべきと強い信念で主張した」明治政府の薩摩・長州藩出身らの多くの官僚たちはイギリス医学の導入を主張していましたが治安はドイツこそが、世界で最高であると妥協せず主張し続けました。その結果、明治2年1869年ドイツ医学が採用されました。その後、知安は明治5年1872年に、第一大学区医学校現在の東京大学医学部の初代学長を務めドイツ人医師を招くなどしてドイツの医学教育を進めました。【相良知安5代目の子孫相良隆弘さん】「医学生をドイツに留学させる留学生が帰国してからは、世界的な発見を細菌学・免疫学でしました。そこで日本医学のレベルが世界レベルに明治後半には到達したんですね。」知安の功績を讃えようと昭和10年・1935年には全国の医師の寄付によって東大医学部の構内に記念碑が建立されました。現在は附属病院前に移設されています。知安の晩年は、イギリス医学派を押し切りドイツ医学を導入した経緯もあり医学部長を就任1年で罷免されその後も重要な役職にはつかず71歳で生涯を閉じました。【相良知安5代目の子孫相良隆弘さん】「ドイツ医学を導入するという強い信念を持って主張したんです。佐賀からもこういう信念を持った医学者がでたということと、ぜひ知ってもらいたい」

11/28 (水)のニュース

最新のニュース