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災害の記憶

災害の記憶 2021/03/09 (火)

3.11を忘れない⑨ 原発事故で続く避難生活

東日本大震災から10年。

FNN取材団としてサガテレビも被災地を取材してきました。

記者とカメラマンが目にした被災地の動画をサガテレビのホームページに一挙に掲載します。

未曾有の災害を忘れないために・・・

取材をめぐる当時の状況

原発事故で広がった放射線による汚染が住民の生活を脅かし続ける一方、「風評被害」も復興の壁として深刻な問題となっていました。取材スタッフの安全確保のため、引き続き線量計の携帯、放射線量の定期的な確認、記録、報告を継続していました。

放送:2012年11月2日

サムネイル

地震によって大きな被害を受け、さらに、今も原子力発電所の事故の影響に苦しみ続ける福島。FNN取材団として、10月21日から9日間、福島県内を取材した田村記者がみた、福島の現状を報告します。

福島市の中心地から北に車で15分ほどのところにある渡利地区。福島第一原発からは60キロ余り離れていますが、放射線の値が比較的高い地区として福島市が今年2月から除染作業を進めています。

空間の放射線量は、ほかの福島市内と比べて約2倍となっています。

放射線量が低い所に避難し、空き家になっている住宅も目立ちます。

(渡利地区在住の男性)

「屋根の除染は早いが、庭の除染が手作業だから進まない。とにかくやるというのは市からは説明があったけど、なかなか進まないという感じ」

家の軒先に置かれた青いビニールシート。放射線量が高い庭の表面を削り取って集めたものの、行先は決まっていません。渡利地区の6000世帯余りのうち、除染の作業中、または完了したのは17%にとどまっています。

(福島市矢野目)

福島市の市街地にある大型商業施設の駐車場に設けられた仮設住宅。福島第一原発から半径20キロ圏内、警戒区域となった浪江町から避難してきた住民が多く住みます。

(浪江町から避難した男性)

「帰れないなら、帰れないとはっきり言って欲しい。我々年配はそんなに長生きできないから」

できれば故郷に帰りたい。そんな当たり前の思いが福島ではかないません。この仮設住宅に一人で住む女性は、今年7月に夫を亡くしました。

(浪江町から避難した女性)

「お父さんががんばって大きなうちをたてて、だから帰りたいよ。でも帰れない。私ら浪江だから。お父さんをお墓に入れることもできない」

浪江町から避難してきた住民の多くは、いまだ行先や補償が決まらず、プレハブの仮設住宅で2度目の冬を迎えようとしています。

福島県が抱える問題、農産物への風評被害もそのひとつです。

(ダイコン生産農家)

「県内産の野菜、なかなか手に取ってくれる人少ない。直売所では今まで来てくれた子ども連れのお客さんがほとんど、いなくなってしまいました。本当に安全で検査した野菜なんですが、それでも買ってくれないお客さんがかなりおりまして、大変苦労しております」

視察に訪れた東京都中央卸売市場の関係者に現状を話す小山忠義さん。30年に渡ってダイコンを生産してきた小山さんでしたが、今年は2ヘクタール作ったダイコンのうち半分は出荷できませんでした。

(都内で青果店を営む男性)

「徹底的に何千種類、何万種類検査を毎日やったといっても、安全安心といっても、いかに消費者に伝えるか」

(ダイコン生産農家)

「風評を中々払拭できないので、みんなに応援してもらって、がんばっていきたいと思います」

福島県はコメを含むすべての農産物の放射線検査を行い、結果をHPなどで公表していますが、今月25日、福島県須賀川市内で収穫された米1袋から国の基準をわずかに超える放射性物質が検出されました。

(記者リポート)

「国の基準を超えるコメが見つかった袋田地区に来ています。農家の口からは、この状況が過ぎるのを待つしかないという声も聞かれていました」

(基準を超えるコメが見つかった地区の農家)

「原発はこういう状態になってしまったんだから、早く年数がたてばね、いくらでも薄くなるんでしょうけど、それを待つしかないんじゃないですか」

(終)

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