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災害の記憶

災害の記憶 2021/03/09 (火)

3.11を忘れない④ 震災から100日 宮城・南三陸町

東日本大震災から10年。

FNN取材団としてサガテレビも被災地を取材してきました。

記者とカメラマンが目にした被災地の動画をサガテレビのホームページに一挙に掲載します。

未曾有の災害を忘れないために・・・

取材をめぐる当時の状況

震災から3か月以上経っても多くの人が避難所での生活を余儀なくされている状況は続いていました。そうした中復興支援のために全国からボランティアが被災地に入っていました。その中には佐賀県からのボランティアの姿もありました。

放送:2011年7月1日

サムネイル

(キャスター)

東日本大震災FNN取材団としてサガテレビの村岡記者が、宮城県の被災地に入りました。震災から100日が過ぎた6月20日から7日間、津波で中心部が壊滅的な被害を受けた南三陸町を取材しました。支援のため被災地入りした佐賀の人たちとも出会うことができました。支援を続ける全国の人たちの思いを中心に南三陸町の現状をお伝えします。

【記者リポートVTR】

宮城県の北部に位置する南三陸町。2005年に志津川町と歌津町が合併して誕生しました。三陸産のワカメやタコで有名な水産業を中心とした人口、約1万7500人の風光明媚な町。そこには人々の笑顔と活気がありました。夏には海水浴場もにぎわい、南三陸町は海とともに生きてきました。それがあの日を境に、かつての町並みと人々の暮らしは津波によって失われました。

南三陸町の歌津駅。かなり高い位置にあります。しかし津波はこの駅をものみこんでいきました。改めて津波の恐ろしさを感じます。

(宮城県南三陸町/2011年6月)

一人でも多く見つけたいと南三陸町では、今なお全国から集まった警察官が行方不明者の捜索を続けています。

東北地方は6月21日に梅雨入りしました。

堤防が決壊し地盤沈下も起こした南三陸町。水はけが大変悪くなっています。ここで崩れ落ちた道路。冠水すれば、その境目がわからなくなり、車が転落する事故の恐れもあります。

震災から100日が過ぎ、次々と運び込まれてくる大量のがれきが山積みされています。これでも全体の一部に過ぎません。

(ボランティアとの出会い)

私たちは、がれきを丁寧に取り除く還暦を過ぎたボランティアに出会いました。

全国から集まった元レスキュー隊員など消防士のOBたちです。経験が役に立てばと、‟ちゃんちゃんこ“をイメージした揃いの作業着で「集結」と名付けたボランティア活動を立ち上げました。

赤い骨組みだけとなった「防災対策庁舎」。住民の命を守るため、最後までこの庁舎で避難を呼びかけた職員は津波にのまれ亡くなりました。機械を使えばずっと楽なはず。しかし、彼らは亡くなった職員や遺族のことを思い、少しずつ自分の手と足で運び出します。

消防士OBのボランティアは・・・

「ダメだな、泣けてくるな。母より千羽鶴に乗って帰ってきてくださいって」

「あんまりどこで誰がというのは考えようにしようと。ただここにかかわる遺族とか家族のことを考えて、少しでも心が復興できるようなお手伝いを。ちっちゃくてもいいけど、地味でもいいけどね、とにかく続けてなんぼだと」

見違えるほどきれいになった建物。震災の象徴として残すことも検討されています。

(自衛隊員が生活支援)

「南三陸町で被災された方々の生活支援にあたっているのが九州の自衛隊員です。湯布院、そして佐賀、目達原駐屯地からの自衛隊員もいます」

目達原駐屯地の隅田和樹さん。朝と夕方、炊きたてのご飯と味噌汁を避難所へ届ける炊事班の班長です。被災者に細かい気配りをしていました。

「被災者の方の意見がありますので、具の量だとか、お年寄りの多いところは味の濃さとか、そういうところに気をつかって作っていますね」

被災者は・・・

「みなさん、大変なお仕事で大変ありがとうございます。本当に感謝しています」

(全国の「ゆるキャラ」も支援に)

商いの魂を絶やさないようにと、南三陸町では地元の商店主が全国の商店街の支援を受け、毎月、最終日曜日に「福興市」を開いています。そこに続々と現れたのは全国の「ゆるキャラ」たち。南三陸町の復興の起爆剤にと始まったテント市には唐津から唐ワンくんがかけつけました。

NPO法人・唐津市子育て支援情報センターのボランティアは・・・

「このキャラクターがここにいるだけでお客さんの雰囲気がとってもなごんで和らいで。子供たちが大変喜んでかわいいと言ってくれることが、唐ワンくんが来た意味があるのではないかと思います」

出会いがあれば別れも。自衛隊が南三陸町での活動を終えました。これまで自衛隊が行ってきた給水や炊事などの生活支援は民間に引き継がれます。目達原駐屯地の自衛隊員も南三陸町を離れ、隣の気仙沼市で支援にあたります。

目達原駐屯地の自衛隊員は・・・

「被災者の方々と会うたびに言っているんですけど、次は一観光客としてここに来て、復興した姿を見て現地の人々とまたその時の話をしたいなと思います」

 

【記者スタジオ報告】

(キャスター)

震災から100日が過ぎましたが、南三陸町の人たちは今、どんな生活を・・・

(記者)

仮設住宅の建設は進んでいるとはいえ、今でも3500人以上の人が避難所での生活を余儀なくされています。そうした中、生活のよりどころを取り戻そうという漁業者もいます。不安を拭えない中、ワカメ養殖を復活させようと、漁業者が集まり、ワカメの胞子を付着させる網を共同で作りました。また、震災を孫の代まで語り継いでいこうと、地元の人たちは「語り部ガイド」を始めました。

語り部ガイドは・・・

「自分一人だったら生きられるのに助けるために犠牲になった方はたくさんいらっしゃる。ここの町はがれきの町ですけど、一生懸命最後まで頑張った美しい愛がいっぱいある町」

(キャスター)

村岡記者は4月に福島県で取材しましたが、今回は何を感じましたか?

(記者)

気仙沼のカツオの刺身は本当においしかったです。被災された方々と話をして感じたことは、行政への不満がある中で、全国からの支援がどれほど物心両面で支えているかということです。町のいたるところに「ありがとう」や「感謝」という言葉がありました。消防OBの方のコメントにもありましたが、「一人ひとりの力は小さくても支援を続けていくこと」が大切なのだと改めて感じました。

(キャスター)

被災地では今後どういう町づくりが検討されていますか?

(記者)

宮城県は復興計画で「職住分離」を進めることを柱としています。これは、住宅地を高台に移転して職場と分けるという方法です。いずれにしてもあとは、復興のスピード、国をはじめ行政が的確に使命を果たしてほしい。

(終)

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