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災害の記憶

災害の記憶 2021/03/09 (火)

3.11を忘れない⑦ 震災から1年 宮城・南三陸町

東日本大震災から10年。

FNN取材団としてサガテレビも被災地を取材してきました。

記者とカメラマンが目にした被災地の動画をサガテレビのホームページに一挙に掲載します。

未曾有の災害を忘れないために・・・

取材をめぐる当時の状況

津波による甚大な被害を受けた漁業者らに台風などの新たな災害が追い打ちをかけ、復興を妨げるケースもありました。震災から約1年。復興への道は険しく、困難を極めています。

放送:2012年3月6日

サムネイル

東日本大震災の発生から間もなく1年。FNN取材団としてサガテレビが取材した宮城県の南三陸町の復興の現状です。

宮城県の北部に位置する南三陸町。約1万7500人が暮らしていたこの町にも津波が押し寄せました。あの日、565人が犠牲となり、280人が行方不明となっています。住民に避難を呼びかけ続けた町の防災対策庁舎には今も花を手向ける人が絶えません。

少しずつ復興への歩みを進めている町に先月25日、仮設の商店街がオープンしました。

津波で店を失った地元の商店主たちは震災後の4月から、月に1度、「福興市」と名付け市を開いてきました。南三陸町に残る住民が買い物に困らないよう商店街の復活は商店主の悲願です。

(南三陸町志津川福興名店街運営組合 組合長)

「みんなの支援のおかげでやっとここまでこぎつけることができました」

この日初めて商店街に掲げられたボード。

ボードを作ったのは、南三陸町で被災した20代。これからの街づくり考えようと集まったグループです。寄せられた支援物資の中でも特にありがたく感じられたというペットボトル。そのフタに感謝の気持ちと復興への思いを込めます。

「我々これから街を作らなきゃいけないじゃないですか。その中でいろんな意見をいただいたり、来てみてもらったり、とにかく忘れないでほしいというのが一番の私の思いです」

オープン2日目のこの日商店街には全国から客が訪れました。しかし、まだ仮設の商店街です。

(組合長)

「これから街の復興計画とか乗り切らなければならないハードルがあるんですが、また商店街を力強く立ち上げるという目標を持って頑張っていきたい。全国のみなさんにはこの商店街にぜひお越しいただき買い物をしたり立ち寄ったりして、きれいな、この穏やかに戻った海を眺めていただきたい」

ワカメやホタテなど水産業とともに歩んできた南三陸町。この漁業者も、父親の代からホタテを養殖しています。90歳になる父親はこの地区でホタテ養殖を始めた第一人者です。

(漁業者)

「船さえあればね」

震災から2か月後の去年5月、親子にうれしいニュースがありました。津波で行方がわからなくなっていた船が沖合で見つかったのです。

ところが・・・。漁を再開できると期待したものの、今度は台風で船が流され、再び、行方が分からなくなってしまいました。

漁港を見下ろす坂の上に建てた自宅も浸水したため、今は近くの仮設住宅で暮らしています。南三陸町ではワカメ漁が再開されたものの、この漁業者親子はホタテ漁を再会できないままです。

(漁業者)

「今の状態では震災当時と比べて、がれきがないだけの状態。荷揚げ場とかができないと生産を開始しても苦労する。買い付け業者も回復してもらわないと」

船が用意できるのは来年。津波で流された倉庫は新たに建設中で、毎日、漁に使う網を準備しています。

(漁業者)

「やっぱり負けていられないからね。みなさんに応援いただいているから感謝に報いたいと。頑張りたいと思っています」

漁業者の親子を後押しするのは跡を継ぐという三代目の存在です。

「将来を展望したときに設備投資しても十分に生かすには後継者がいないと。養殖は家族が基本なので、大変ですよ。亡くなった人もいるんだから」

あの日から1年・・・漁業者だけでなく加工、流通を含め、海とともに生きてきた南三陸町。水産業の再生こそ復興の鍵を握っています。

(終)

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