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2025.12.07

"時代に消された文豪"神埼出身の吉田絃二郎 ~芥川龍之介に劣らぬ才能を持った知られざる文豪~

佐賀県民でも知らない人が多い、"時代に消された文豪"吉田絃二郎。大正から昭和前半にかけて、芥川龍之介や夏目漱石にも劣らないほどの存在だったとされながら、なぜ現代では忘れ去られた存在となってしまったのでしょうか。「芥川龍之介よりも、夏目漱石よりも、本の売り上げは多かった」という驚きの事実と、「心の栄養ドリンクを蓄えてほしい」という現代への願い。神埼市で開催された生誕140年祭の様子とともに、この知られざる文豪の生涯と功績を探ります。

大正時代の五大ベストセラー作家だった吉田絃二郎

1886年、現在の神埼市内の莞牟田(くぐむた)地区に生まれた吉田絃二郎。その功績を後世に伝える活動をしている喜多秀哉館長は、絃二郎の偉大さについてこう説明します。

「芥川龍之介と同じくらい力のある作家と書いてありますが、実は、芥川龍之介よりも、夏目漱石よりも、本の売り上げは多かった」

絃二郎の代表作『小鳥の来る日』は、大正10年に発表された随筆集で、200版を超える重版を重ね、「大正時代の五大ベストセラー」の一つに数えられています。特に若い世代に人気があった作家で、その影響力は現代では想像できないほど大きなものでした。

苦難を乗り越えた文豪の歩み

吉田絃二郎の人生は決して順風満帆ではありませんでした。喜多館長によると、「苦しい生活を送りながら、そこをなんとか打破したい」という思いから、4歳の時に佐世保に移り住みます。

「当時その佐世保っていうのは軍港の街で賑わってましたので」と語られるように、活気ある佐世保で幼少期を過ごした絃二郎は、その後長崎の東山学院中学校を経て、佐賀工業学校を首席で卒業。現在の佐賀工業高校の校歌を作詞したのも、この吉田絃二郎です。

早稲田大学に進学するも、兵役のため2年間学校を離れることになり、配属先は対馬でした。この対馬での体験が後の創作活動に大きな影響を与えることになります。

出世作『島の秋』から代表作『小鳥の来る日』へ

30歳で発表した小説『島の秋』は、対馬を舞台とした作品で絃二郎の出世作となりました。そして35歳で発表した随筆集『小鳥の来る日』が、絃二郎の名を不動のものにします。

絃二郎の才能は小説だけにとどまりませんでした。歌舞伎の脚本『二條城の清正』は、名優・中村吉右衛門の演目となり、代々受け継がれて上演され続けています。

戦時下で"時代に消された"理由

これほどまでに人気を誇った吉田絃二郎が、なぜ現代では知られざる存在となってしまったのでしょうか。その謎について、喜多館長はこう説明します。

「戦時色が濃くなって、絃二郎さんの作品が掲載されていた教科書からどんどんどんどん削除される。そして最後は、執筆禁止同然の扱いを受けているんですね」

当時の政府からなぜそのような扱いを受けたのかは定かではありませんが、絃二郎の何らかの作風が戦争をする国策に適していないとみなされた可能性があります。優しい感性を重んじる絃二郎の作品は、戦時下の価値観とは相容れないものだったのかもしれません。

現代に伝える優しい心の物語

吉田絃二郎の意志を後世につなぐため、喜多さんたちは絃二郎の作品をもとにした絵本を制作し、神埼市の子どもたちの学習に活用しています。

西郷小学校の子どもたちが演じた物語は、山間部の学校の先生が捕らわれた熊を救うために自分のコートを売り払って助けるという内容。リポーターは「今の国内ニュースとは雰囲気が違いますが、優しい感性を伝えてくれる作品です」と紹介しています。

生誕140年祭で新たな発見をした子どもたち

11月24日の生誕140年祭には、西郷小学校、神埼中学校、神埼高校の児童生徒が参加し、吉田絃二郎にまつわる合唱や朗読、劇などを披露しました。

参加した子どもたちからは様々な感想が聞かれました。

「緊張はしたけど、なんか楽しかった」「神埼の人からなんか色々と愛されてるんだなと思いました」(西郷小学校の児童)

「小学生の頃感想画やったなとか、そういうなんか懐かしいなと思いながらも、すごい素敵な物語とか書かれてる方だなと思いました」(神埼中学校の生徒)

神埼高校の生徒は「放送部に入部するまでは吉田絃二郎さんのことは全然知らなくて。でも今回『太った王様』を読んで、とても味のある文章を書いて、とても素晴らしい方だなと思いました」と語っています。

現代にも通じる価値観の先駆者

神埼情報館で吉田絃二郎の資料を見ることができますが、そこには現代にも通じる価値観を持った人物像が浮かび上がります。

喜多館長は「いろいろと資料を見ていくと、いかにその絃二郎さんが奥さんを愛していたのか。奥様が家事をされるのを嫌ってた」と説明します。

「当時から考えたら、やっぱり女性が家事をするというのは当然のように考えられていた中で、パートナーとしての、お互いを高め合うパートナーという、すごいいい関係だなと思います」

戦時中から現代にも通じる価値観を有していた吉田絃二郎の存在は、まさに時代の先駆者だったと言えるでしょう。

まとめ:心の栄養ドリンクとしての文学

取材したリポーターは「優しさとか愛情というところがすごくキーワードになってるなと思いました。この神埼の学生の皆さん、子どもたちの皆さん、すごくいいものに触れることができてるんだな」と感想を述べています。

喜多館長は、絃二郎の作品が現代の子どもたちに与える意義についてこう語ります。

「今そういう心優しい内容の作品だからこそ、今の子どもたちに読んでほしい。今結構子どもたちの心の荒廃って叫ばれてますよね。心の栄養ドリンクを蓄えてほしい、そんな思いがあります」

吉田絃二郎の作品は、神埼だけでなく佐賀県内に、全国に、もっと広く伝えていけるといいですね。時代に消された文豪の優しい心と先進的な価値観は、現代を生きる私たちにも大きな示唆を与えてくれるはずです。

【2025年12月2日放送 かちかちLIVE サガSagace  より】

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