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「重傷者は死ね」悲惨な光景 18歳で南方戦線へ 戦友の遺骨収集も【佐賀県伊万里市】

2025/08/05 (火) 18:16

太平洋戦争の終結から今年で80年。5日からシリーズで戦争体験者の証言などをお伝えします。今回は、陸上での戦闘を主な任務とする陸戦隊に所属し、18歳で南方戦線に向かった男性を紹介します。(2021年取材)

「重傷患者は野戦病院の傍に担架に乗せたまま。治療しないで死ぬのを待つ」
「もう『おっかさーん、おっかさーん』と『天皇陛下』って言う人は全然いない。『おっかさーん、おっかさーん』」

伊万里市の川久保好喜さん96歳。
今から78年前の1943年4月、18歳だった川久保さんは海軍の海兵団に志願して入団。その後、陸上での戦闘を行う特別陸戦隊の水陸両用戦車の搭乗員になり、日本から約5千キロ離れた南方戦線、パプアニューギニアのラバウルに行くよう命じられます。

【川久保好喜さん】
「これで内地を見納めかということと、戦地を知らないので早く南方の部隊に着きたいという2つの複雑な気持ちはありました」

パプアニューギニア方面はアメリアやオーストラリアからの攻撃を防ぐ最前線として、多くの日本兵が投入されましたが、死者は20万人を超えるほどの激戦地でした。
川久保さんの部隊はラバウルからカビエンに向かいましたが、連合軍の攻撃が激しくなり、1日に何度も空襲を受けました。

【川久保好喜さん】
「ここに戦車がいるでしょ。うちの部隊の水陸両用戦車。そこに爆弾が落ちたわけですよ。砲弾がどんどん落ちてくる。これは最期だと。このときは弾はどんどん落ちてくるし、その時は怖いも何もそういう感情はなかった。それが人間の心理ですよ。戦場心理。敵愾心に燃えて、『なにくそ』ということで。もうひとつは我々は内地に帰らないというひとつの諦めがあった」

南方戦線ではマラリアなどの感染症も多く、食糧不足による栄養失調も重なり、戦闘によるもの以上に多くの死者が出ました。

「パパイヤの実をとってきたり、ヘビやトカゲ、コウモリ、野ブタをとったり」

太平洋戦争で海外で亡くなったとされる日本の戦没者は200万人以上にのぼり、一説では6割ほどが病気や餓死などの戦病死と言われています。
過酷な環境の中、川久保さんもマラリアにかかり、野戦病院へ運ばれました。その時の悲惨な光景はいまでも瞼に焼き付いています。

【川久保好喜さん】
「ヨードチンキだけ。あと包帯がない。包帯がないから木の葉っぱで包帯代わりその間からウジ虫が入って『重傷患者は治療しない。軽傷患者だけ治療する。治療薬がないわけ。だから重傷患者はそのまま死んでいけ』と。もう『おっかさーん、おっかさーん』と。『天皇陛下』って言う人は全然いない」

空襲がさらに激しさを増す中、突然、上官から集合がかかります。
1945年・昭和20年8月15日、日本は連合国に無条件降伏したのです。

【川久保好喜さん】
「日本は負けてここで終戦になったと。それからがっかり。がっかりと内地に帰れるぞというひとつの楽しみが浮かんだ」

帰国から4年後の1950年、川久保さんは改めて国を守りたいという思いで、今の自衛隊の前身である警察予備隊に入隊。定年を迎えるまで、日本の国防に貢献しました。
その後、戦友に誘われるなどして、当時の厚生省が進めていた残留日本兵の捜索や戦没者の遺骨収集派遣団に参加し、再びパプアニューギニアを訪れました。

【川久保好喜さん】
「骨を掘って洗っているところこれは大腿骨。大腿骨2本が1体として、頭蓋骨1つを1体として。ここで掘ったのが80何体、ひとつの壕から出てきた」

遺骨は都内にある千鳥ケ淵戦没者墓苑に納められています。
川久保さんいまも戦死した戦友を思いつつ、生きていることに喜びを感じています。

【川久保好喜さん】
「亡くなった人には申し訳ないけれどもこうやって生きながらえたということは個人としては喜ばないといけない。戦争するということは必ずどっちかが傷つくわけですからね。人種が違えばしきたりも違う。思想も違う。だから戦争も起きることなんだろうけど、やっぱり争いはしたらいけない」


伊万里市山代町の川久保好喜さん。
1925年2月14日生まれ。2022年6月死去。
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