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父は駆逐艦「呉竹」の艦長…小城市の住職 死者10万人の「バシー海峡」慰霊祭へ 【佐賀県】
2025/08/12 (火) 18:20
終戦企画です。今回は、太平洋戦争中10万人以上が亡くなったとされる「バシー海峡」について。小城市の男性も遺族の一人。駆逐艦の艦長だった父を亡くし、8月、台湾の海で平和を祈りました。
【吉田さんの読経】
「バシー海峡に追悼の風吹く」
台湾に集まった、多くの遺族。
【遺族】
「お父さん、『あなたの娘の初枝です』と手を合わせにきました」
故人をしのんだキクの花は、海で静かに揺れていました。
「これが私の父親。当時『呉竹』の艦長をしていた吉田宗雄」
小城市の住職・吉田宗利さん。
父の宗雄さんは、日本海軍の駆逐艦「呉竹」の艦長を務めていました。
当時、日本は敗色濃厚。フィリピンなどの東南アジアに、大量の人や物資を輸送しました。
その主なルートだったのが台湾とフィリピンの間にある「バシー海峡」です。
【父がバシー海峡で戦死 吉田宗利さん(83)】
「兵隊を送らないといけない。たくさんの若者を乗せた輸送船をフィリピンに送らせようとした。それがバシー海峡を通るときに防衛するのが駆逐艦。うちの親父の仕事だった。これが呉竹という父が乗っていた船。駆逐艦」
全長84メートル、重さ900トン。
多くの輸送船を護衛していた呉竹。しかし…。
【父がバシー海峡で戦死 吉田宗利さん(83)】
「輸送船を守る駆逐艦だが、それをアメリカは待ち受けている。潜水艦で」
アメリカ軍の潜水艦は航行中の呉竹に魚雷を発射。
吉田艦長がいた艦橋付近にも命中し、海に沈みました。
吉田艦長は32歳で戦死しました。
多くの船がアメリカ軍に撃沈され、「輸送船の墓場」と呼ばれたバシー海峡。
【吉田さんの読経】
「八十余年の時空を超えて国に殉じ身を挺する雄姿を偲ぶ」
この日、バシー海峡に近い台湾南部で慰霊祭が行われました。
【慰霊祭実行委員会 渡辺崇之委員長】
「人は二度死ぬと言われます。一度目は肉体の死、二度目は私たちの後世の記憶から忘れ去られたときを指します。多くの戦没者たちの無念を受け止め鎮魂の祈りを捧げ、後世に伝え、現代日本の教訓とできれば幸い」
参列したのは、吉田さんを含む遺族など約150人。
【鹿児島県徳之島からの遺族 吉岡初枝さん(80)】
「お父さん、あなたの最後の地、バシー海峡でこうして参拝できることに胸がいっぱいです」
バシー海峡では、10万人以上が亡くなったとされています。
周辺の海岸には多くの遺体が流れ着きました。
遺体は地元の住民が埋葬し、ほとんどが手付かずのままとなっています。
【父がバシー海峡で戦死 吉田宗利さん(83)】
「ここは父親の戦場でもある。とにかく死者10万人というから…。ここにたくさんの兵隊がどんどんどんどんつぎ込まれてそれをアメリカ軍が待ち受けていた。そうすると日本という国が“人命”をどう考えていたのか?“いくらかフィリピンに届けばいいや”という考え方なのでは。そのために若い命がいっぱい失われた。日本人の生活が戦争によってどう狂っていったかが分かる…」
終戦から80年。小城市にある父の墓に、今も遺骨はありません。
それでも、月命日には欠かさずお経を上げています。
【父がバシー海峡で戦死 吉田宗利さん(83)】
「鎮魂を願って、平和が長く続いてほしいと思う。お経を上げるぐらいしかできないが、あなたのことは忘れないよ、みなさんのことは忘れないよ、と。二度と戦争をしない国にするよと。誓わないといけないと思う」
このバシー海峡について、国は今後、埋葬されている遺骨の発掘調査を始める方針です。台湾で行われる公的な遺骨の収集は50年ぶりだということです。
【吉田さんの読経】
「バシー海峡に追悼の風吹く」
台湾に集まった、多くの遺族。
【遺族】
「お父さん、『あなたの娘の初枝です』と手を合わせにきました」
故人をしのんだキクの花は、海で静かに揺れていました。
「これが私の父親。当時『呉竹』の艦長をしていた吉田宗雄」
小城市の住職・吉田宗利さん。
父の宗雄さんは、日本海軍の駆逐艦「呉竹」の艦長を務めていました。
当時、日本は敗色濃厚。フィリピンなどの東南アジアに、大量の人や物資を輸送しました。
その主なルートだったのが台湾とフィリピンの間にある「バシー海峡」です。
【父がバシー海峡で戦死 吉田宗利さん(83)】
「兵隊を送らないといけない。たくさんの若者を乗せた輸送船をフィリピンに送らせようとした。それがバシー海峡を通るときに防衛するのが駆逐艦。うちの親父の仕事だった。これが呉竹という父が乗っていた船。駆逐艦」
全長84メートル、重さ900トン。
多くの輸送船を護衛していた呉竹。しかし…。
【父がバシー海峡で戦死 吉田宗利さん(83)】
「輸送船を守る駆逐艦だが、それをアメリカは待ち受けている。潜水艦で」
アメリカ軍の潜水艦は航行中の呉竹に魚雷を発射。
吉田艦長がいた艦橋付近にも命中し、海に沈みました。
吉田艦長は32歳で戦死しました。
多くの船がアメリカ軍に撃沈され、「輸送船の墓場」と呼ばれたバシー海峡。
【吉田さんの読経】
「八十余年の時空を超えて国に殉じ身を挺する雄姿を偲ぶ」
この日、バシー海峡に近い台湾南部で慰霊祭が行われました。
【慰霊祭実行委員会 渡辺崇之委員長】
「人は二度死ぬと言われます。一度目は肉体の死、二度目は私たちの後世の記憶から忘れ去られたときを指します。多くの戦没者たちの無念を受け止め鎮魂の祈りを捧げ、後世に伝え、現代日本の教訓とできれば幸い」
参列したのは、吉田さんを含む遺族など約150人。
【鹿児島県徳之島からの遺族 吉岡初枝さん(80)】
「お父さん、あなたの最後の地、バシー海峡でこうして参拝できることに胸がいっぱいです」
バシー海峡では、10万人以上が亡くなったとされています。
周辺の海岸には多くの遺体が流れ着きました。
遺体は地元の住民が埋葬し、ほとんどが手付かずのままとなっています。
【父がバシー海峡で戦死 吉田宗利さん(83)】
「ここは父親の戦場でもある。とにかく死者10万人というから…。ここにたくさんの兵隊がどんどんどんどんつぎ込まれてそれをアメリカ軍が待ち受けていた。そうすると日本という国が“人命”をどう考えていたのか?“いくらかフィリピンに届けばいいや”という考え方なのでは。そのために若い命がいっぱい失われた。日本人の生活が戦争によってどう狂っていったかが分かる…」
終戦から80年。小城市にある父の墓に、今も遺骨はありません。
それでも、月命日には欠かさずお経を上げています。
【父がバシー海峡で戦死 吉田宗利さん(83)】
「鎮魂を願って、平和が長く続いてほしいと思う。お経を上げるぐらいしかできないが、あなたのことは忘れないよ、みなさんのことは忘れないよ、と。二度と戦争をしない国にするよと。誓わないといけないと思う」
このバシー海峡について、国は今後、埋葬されている遺骨の発掘調査を始める方針です。台湾で行われる公的な遺骨の収集は50年ぶりだということです。
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