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「死刑宣告と同じ」特攻隊指名も生き延びたが…望みのない過酷なシベリア抑留 佐賀市男性の証言【佐賀県】

2025/08/15 (金) 18:21

8月15日で終戦から80年です。戦争体験者の話をシリーズでお伝えしている終戦企画。今回は次々と飛び立つ戦友を見送り自身も特攻隊員の指名を受けた98歳の男性です。生き延びたと安堵した矢先、待ち受けていたのは過酷なシベリア抑留でした。

【鳥谷邦武さん】
「同期生がいくときは『お前たち来るなよ、お前たち来るなよ。特攻は俺たちだけで十分だ』と言いながら飛び立って行った。誰だって行きたくないと分かっていた」

太平洋戦争末期、戦局の悪化を打開しようと日本軍が行った「特別攻撃」。
戦闘機などに爆弾をつけてアメリカ軍の船に体当たりするもので、航空機による特攻だけで約4000人が戦死しました。

【鳥谷邦武さん】
「パイロットは消耗品と思えということで我々は消耗品だという扱いにされていた」

佐賀市に住む元特攻隊員の鳥谷邦武さん98歳。
1943年、16歳のときに福岡県の大刀洗陸軍飛行学校に入校し、歩兵の訓練や空中射撃に必要な学科の授業など基礎を習いました。

【鳥谷邦武さん】
「殴られ方から入った。訓練はものすごくきつかった」

卒業後、朝鮮の学校で基本操縦を学び、現在の中国東北部・満州の部隊へ。
ここで本格的な戦闘機の操縦訓練に励んだ鳥谷さん。その頃、追い込まれた日本軍は“必死”の作戦に踏み切っていました。「特攻作戦」です。

【鳥谷さん】
「命令が出るまでは冗談言い合っているけれども、命令が出て指名されたら、兵舎に帰ってきて私物の整理をしないといけない。あと1週間、10日で死ぬかと思ったら私たちも声かけられないし、本人も黙って私物の整理をしていた。その場面は今でも忘れない」

次々と飛び立っていった苦楽を共にした戦友たち。
福岡県の大刀洗平和記念館には鳥谷さんの同期生を含む亡くなった特攻隊員の写真が飾られています。

【鳥谷邦武さん】
「紺野は『鳥谷、死にたくないな』と何度も言っていたが、彼が先にいってしまった。私物を入れたものを特攻機へ持ってきて『大石』と言ってあげた。『ありがとう』と言って取って『お前たち来るな、来るなよ』と」

そして1945年3月、ついに鳥谷さんも特攻隊員に指名されます。

【鳥谷邦武さん】
「命令を受けた時は足が震えた。前の人ががたがたと足が震えているのが見えた。死刑の宣告と同じだから」

しかし、約3か月後、激戦地の沖縄が陥落。特攻は中止されました。

【鳥谷邦武さん】
「『沖縄には気の毒だけど俺たちは生き残ったぞ。ひょっとしたら内地へ帰れるかもわからんな。親と会えるかもわからんな』と言っていた。本当に命拾いしたというような感じだった」

しかし、安堵したのも束の間、このあと鳥谷さんを待ち受けていたのは一縷の望みもない過酷なシベリア抑留でした。

【鳥谷邦武さん】
「貨物列車に乗せられて『東京ダモイ!東京ダモイ!』と散々騙されて」

太平洋戦争終戦の直前にソ連・現在のロシアは日本と結んでいた条約を破り中国東北部などへ侵攻。
とらえた日本兵などを連行し強制労働させるシベリア抑留を行いました。
約5万5000人が帰国できず死亡したといわれています。

【鳥谷邦武さん】
「満州から来た軍服だけで毛布も飛行服も略奪されて何もないから持っているものを全部着て兵舎の中で寝た覚えがある」

終戦後、鳥谷さんが連れていかれたのは西シベリアの「ヤヤ第六収容所」。
最低気温は氷点下63度にもなる極寒の地です。食事は1日に小さなパンたった1つ。昼も夜もなく重労働を強いられ、栄養失調になったり空腹に耐えられず毒草を食べたりしてたくさんの人が死んでいったといいます。

【鳥谷邦武さん】
「最もひどいのが死体をそりに4、5人乗せて引っ張ってきてこの辺でよかろうというところで降ろして死体を並べて真っ裸にして、凍っているからシャーンとして材木みたいになっている。5、6人と並べて雪をかぶせてみんなで拝んで帰ってくる」

その場を離れると仲間の遺体はすぐオオカミに食べられてしまい次に向かったときには骨まで跡形もありません。

【鳥谷邦武さん】
「希望が何にもない、明日のことがわからない、食べ物も着物もない。このままボーっとなったままで死んでいくのかなと思ったことがあった。何でも考える気力がなくなってくる」

鳥谷さんは2回冬を越え、ようやく帰国。日本の港についたとき、船のデッキから小学生がランドセルを背負って歩く姿が見え胸がいっぱいになったといいます。

【鳥谷邦武さん】
「みんなぴたっと自分の話をやめて静かになったと思ったらみんなこうして見ていた。それぞれの思い出があるんだろう、やはり涙がポロっと出た。涙が出た」

命がけの特攻隊員と終わりの見えないシベリア抑留。鳥谷さんは多くの戦友たちの死を背負って二度の地獄を生き抜きました。

【鳥谷邦武さん】
「死んだら一番最初に同期生に会いに行こうと思う。『鳥谷、年とったな』と言うだろうね。戦争ってこのくらい馬鹿らしいものはない。むざむざと死にたくないなと言いながら亡くなっていった同期生、戦友がたくさんいるから、本当はどんなだったのかこの世に残していきたい」
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